Teacher’s Eye 研究最前線

小宮こみや 良之よしゆきさん KOMIYA YOSHIYUKI

スポーツライター・小説家

[ PROFILE ]
1972年神奈川県横浜市生まれ。1997年拓殖大学外国語学部スペイン語学科卒業。在学中にスペインのサラマンカ大学に留学。2001年にバルセロナに渡り、スポーツライターとして活動を始める。トリノ五輪、ドイツW杯などを現地取材後、2006年に帰国。『導かれし者』(角川文庫)『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など著書多数。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。

自分の物差しや基準で物事を判断すれば、
失敗しても糧になるし、やり直せる。

 僕はスポーツライターとして、監督や選手、チーム関係者にインタビューをしたり、チーム状況や試合内容を取材したりして、さまざまな媒体で記事を書いています。インタビューする相手がどんなに有名で、どれほど才能に溢れても、同じ土俵に立って向き合うように心がけています。その覚悟がなければ、話を聞き出すことはできないからで。当然、万全の準備も欠かせません。

 メッシややモウリーニョなど世界最高峰の選手・監督のインタビューはさすがに緊張しましたが、怯むわけにはいきませんでした。僕は、インタビューをパーソナリティのぶつけ合いの勝負だと思っています。時にはインタビューの途中で、口論になることもあります。でもそれは、相手が本気で僕に向き合ってくれている証です。お互いが真剣に向き合わないと本音に迫ることはできません。このようなその姿勢で臨むことが、僕のオリジナリティであり、読者に面白いと感じてもらえるものを書くことにつながるのかなと思っています。

 どんな選手にも物語があり、その物語を自分がどのように描くかを考えながら原稿を書いています。ですから、自分のフィルターを持つことが、とても重要となります。そのためには、日々自分がどのような人間として生きていくか、またどのような人に出会うかが大事で、その運に恵まれてきたとも思っています。

 振り返ってみると、拓殖大学に入学したことで将来の道筋ができたと感じます。拓殖大学を選んだきっかけは、特別奨学生奨学金(当時)の制度があることを知ったから。12月の試験で特別奨学生として入学しました。もともと海外に興味があり留学も単位振り替えができること、サッカーが好きでスペイン語を勉強したいという思いがあったため、スペイン語学科に進むべき道が見えたのです。

 人生の転機となったのは、在学中にスペインのサラマンカ大学へ1年間ほど留学したことです。現地で世界中から集まっている多様なバックグラウンドを持つ人たちと交流し、肩書や経歴よりも「いま何をして、どう生きているか」に人の魅力があるのだと思いました。留学生活を通じて、人間を好きになった気がします。

 現地ではスペイン人の学生3人とルームシェアで一緒に過ごしました。「ホームステイの方が楽で安全」と周りからは聞いており、ルームシェアは推奨されていなかったのですが、スペイン人のコミュニティで暮らす必要があったのです。そのおかげで、スペイン語が上達し、生活自体も面白くなりました。自分が心を開くと、相手も心を開いてくれて親交が深まり、人脈が広がって、そうして築いた人間関係への感謝が、今の仕事でもベースになっています。

 大学4年次にスペインから帰国後、同じ学科の友人からスポーツライターの遠い親戚を紹介してもらい、スポーツ雑誌で原稿を書くようになりました。最初は、イタリア語の記事翻訳。そういった仕事に関われるだけで楽しかった思い出があります。

 でも、大学を卒業すると同時に執筆していた雑誌が休刊になってしまい、それで再び、短期でスペインに行きました。そのタイミングでサッカー雑誌『ワールドサッカーダイジェスト』の編集者から「スペイン人の記者を探している」と聞き、今でも連載が続くヘスス・スアレスの原稿を翻訳して掲載してもらったんです。

 それがきっかけとなって、外国人記者が書いた記事を翻訳する仕事は増えました。ただ、当時は実績がなかったし、書く仕事は限られていたんです。そこで「書く仕事をするには強烈な武器を身につけないといけない」と感じ、2001年にバルセロナに渡りました。

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サラマンカ大学の前で先生と (1)。 サッカー仲間との1枚(2)。 サラマンカの祭り(3)。 ルームメイトとラジオに出演しました(4)。

 スペインに拠点を移すと、日本から現地取材の依頼が入るようになりました。翌年の2002年にワールドカップ・日韓大会が開催され、日本にサッカーブームが訪れたことに伴い、スポーツ雑誌からも執筆の依頼が入りました。原稿に反響があったことで、サッカーだけでなくほかの競技についても取材するようになり、2006年のトリノオリンピックの取材にも行きました。その経験から12年後、フィギュアスケートの高橋大輔選手が復活したインタビュー記事が反響を呼び、活動領域を広げることになるのですが…。

 2006年にワールドカップ・ドイツ大会の取材を終え、海外でやるべきことを成し遂げたという自負があって、帰国しました。「命を燃やすような競技者の人生を描き切りたい」と思っていたのですが、「RUN」(ダイヤモンド社)、「アンチ・ドロップアウト」(集英社)で不屈の選手たちの物語を描き上げることができました。さらに選手の取材を重ねていくうちに、「彼らの姿をモチーフにして小説を描きたい」と『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)や『氷上のフェニックス』 (角川文庫)を出版することもできたのです。

 書く分野は広がり続け、今年の7月にはパリオリンピックで、バレーボールやバスケットボールなどを現地取材する予定です。

 今後も、読者の心を動かす記事や作品を提供していきたいですね。僕が書いたものを読んだ方から「生きていてよかった」「勇気をもらった」などと言ってもらえると、この仕事をやっていてよかったと感じます。

 僕が卒業した頃は、会社に就職することが当たり前の時代であり、就職せずに個人で活動していた自分は異端な存在でした。しかし、卒業当初から「自分の力でやっていく」という根拠のない自信だけはありました。社会に出てからその自信がどんどん削がれていきましたが、削られるたびに実力につながっていったように思います。

 僕から在学生にアドバイスできることは正直あまりありません。率直に言って、自分は『人と出会う運』に恵まれていたな、とつくづく思います。しかし強いて言えば、自分の物差しや基準で物事を判断してほしい。なぜなら、世間でいいと言われているものが、1年でひっくり返ることはざらにあるからです。

 いまや生成AIなど、少し前では考えられなかったものが、次々と生まれています。そのような時代において、ただトレンドに合ったものを選ぶより、自分自身が「何をやるか」を考えて選択したほうがよいと思います。それくらい、何の保証もない時代なので。

 自分が信じた道を選んだ場合と、他人に言われた道を選んだ場合とでは、成功する確率は同じかもしれません。でも、自分で道を選んだ場合は、失敗した時に自分で間違いに気づいて、再度チャレンジすることができます。自分で決めたことなら、その経験はゼロではなく、次につながる糧になるのです。 学生の皆さんは可能性がたくさんあると思いますので、自分を信じてやりたいことに向かってチャレンジしてください。

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カタールW杯の際の写真

小宮 良之さん SCHEDULE

WEEKDAY

7:30

起床

暗闇で自転車を漕ぐフィットネスをしており、出勤前に一汗流すのがストレス発散になっています。

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8:30

朝食

メール確認、ニュース、国内外の試合映像チェックなどをします。

10:00

執筆

連載記事や速報記事、取材記事など片っ端から。空港や新幹線内など場所・時間問わず書いています。

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13:30

昼食

スペイン時間の名残で昼も夜も遅めです。

14:30

執筆

サブスクでドラマや映画を鑑賞し、小説や漫画を読んでいる日も。最近は『呪術廻戦』や『ハイキュー』。おやつは甘いものが好きです。

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21:00

夕食

24:00

就寝

取材ベースの仕事なので、選手や関係者と会う日はまるで違う生活リズムです。出張も多く、例えば海外取材では、成田→バンコク→フランクフルト→ハノーファー→ヴォルフスブルク→フランクフルト→ビルバオ→サンセバスティアンを2日で行うハードロードも。

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