Graduate Interview 社会で活躍する拓大生 Graduate Interview 社会で活躍する拓大生

アハメド シャハリアルさん AHMED SHAHRIAR

公立大学法人三条市立大学 理事長・学長

[ PROFILE ]
1966年東パキスタン(現バングラデシュ人民共和国)生まれ。1994年3月拓殖大学工学部電子工学科卒業。2000年12月に東京電機大学大学院で博士(工学)を取得。同大学フロンティア共同研究センター、新潟産業大学、沖縄科学技術大学院大学などでの勤務を経て、2021年に三条市立大学理事長・学長に就任。

好奇心を探究できたのは、
拓殖大学での学びがあったからこそ。

 私が電子工学を学びたいと思い始めたのは、幼少期の頃でした。当時、父は祖国バングラデシュの発電所で働いていたのですが、そこでは多くの日本人エンジニアが活躍していました。彼らが発電機を起動させたり、メンテナンスを行ったりする姿を見て憧れを抱き、「エンジニアは最高の仕事だ!」と思うように。それが将来、日本で工学を学びたいと考えるようになったきっかけです。

 日本へ行く決意を固めた1988年頃は、バングラデシュは経済的にとても貧しい国でした。そこから、世界トップクラスの経済大国へ単身で渡るというのは、振り返ると大変な冒険でした。しかし、当時は「将来エンジニアになって、バングラデシュで活躍する」という夢に胸を躍らせていたため、それほど不安には感じていませんでした。

 拓殖大学への入学を決めたのは、日本語学校の先生や知人に勧められたからです。「拓殖大学という評判の良い大学がある」「今度、新しく工学部ができる」という話を耳にしたことが受験するきっかけに。試験の面接官は、東京工業大学からいらっしゃった森榮司先生でした。面接時、先生の言葉の端々から、工学に対する熱意があふれ出ているように感じ、「絶対にここで学ぼう!」と決めたのです。

 入学直後、河口湖で新入生を対象にした1泊2日のオリエンテーションキャンプが行われたのですが、そのときホテルで同じ部屋になった8人の日本人学生と仲良くなり、大学生活のさまざまなシーンで支えてもらいました。履修の仕方や日本語での日常会話などを教えてもらうだけでなく、花火がよく見えるスポットに連れて行ってもらうなど、彼らのおかげで非常に充実した大学生活を送ることができました。

 「バングラデシュでエンジニアになる」という夢が大きく変わったのは、3年次の頃。医学に用いる電子工学を研究する小林健二先生の研究室に所属し、音響診断工学を用いて、人工弁の置換を客観的に評価するという研究に取り組んでいた頃でした。研究を通して「もっと勉強したい」という気持ちが芽生え、卒業後は拓殖大学大学院で修士課程を、東京電機大学大学院で博士課程を修了し、工学の博士号を取得しました。大学院では人工心臓の研究をしていたのですが、1998年にアメリカの国際人工臓器学会(International Faculty for Artificial Organs)で論文を発表したところ、学生賞(Student Award)を受賞することができました。この出来事は、私の人生そのものを変えてしまったと言っても過言ではありません。その後は、東京電機大学に新設された研究センターをはじめ、さまざまな高等教育機関で教鞭を執りながら、自らの研究に取り組んでいきました。

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 2003年から10年ほど勤めた新潟産業大学は柏崎市にあり、高齢者福祉や障害者福祉を身近に感じられる場所でした。そのため、私が有する工学的なスキルを、福祉に役立てられないかと考えるようになり、研究の成果を実用化するノウハウを学ぶために、新潟大学MOT(Management of Technology)で技術経営の勉強をしました。その際に研究フィールドに選んだのが、三条市立大学のある燕三条の街だったのです。

 研究テーマとして掲げていたのは、「どうすれば短期間で優秀な人材を育成することができるか」というものでした。当時の私は、日本の工学教育に限界を感じていました。工学部では、大企業で活躍できる人材を育成しています。しかし、日本経済をさらに発展させていくためには、中小企業が元気でなければいけない。そのためのリサーチを、金属加工を行う小さな工場が4000以上集まる燕三条で行っていたのです。

 その後、三条市立大学の立ち上げる検討委員会に参加することになったのは、沖縄科学技術大学院大学でPOC(プルーフ・オブ・コンセプト)プログラム、つまり論文に書かれたアイデアを、サービスや製品として実用化するための概念実証プログラムを導入し、実績を挙げたことがきっかけです。その経験に基づき、三条市立大学の構想段階で「知識の使い方」を教える大学をめざし、学生自らが「ものづくり」の現場を経験できる仕組みを提案したところ、実際に採用されました。これはものづくり技術の集積地である燕三条だからこそ実現できることだと考えたのです。

 思いがけず学長を務めることになり、2年という月日が経ちました。この大学は、目標の130%で成長しており、確かな手ごたえを感じています。「日本で一番イノベーティブな大学として、グローバルトレンドに対応しつつ、日本の経済発展に貢献できる人材育成」を行いたいと思っています。

 かつての日本は、大企業に入社できれば安泰という時代でした。しかし、ものが溢れている現在は、そうとは言い切れません。ものすごいスピードでテクノロジーは発展し、ニーズやトレンドが変わっていくため、未来志向で考え、動いていく必要があります。かつては努力すれば報われた時代ですが、いまは賢く生きなければ報われないと思っています。在学生のみなさんには、どんな時代が到来しても活躍しつづけられるように、10年後を見据えながら、賢く学んでほしいです。

 そして、もう一つ大切にしてほしいことがあります。それは、たくさんの人たちとの出会いです。私は拓殖大学で出会った8人とは、いまだに連絡を取り合う仲です。彼らに支えられ、楽しい大学生活を送れたからこそ、懸命に学べました。人生を振り返ってみると、身につけたスキル以上に、色々な人との出会いから大きな影響を受けてきたと感じています。多くの人たちに信頼され、後押ししてもらったからこそ、いまの私がいると思っています。拓殖大学という環境を大いに生かしながら、さまざまな出会いを経験してください。その一つひとつが、あなたをよりよい未来へ導いてくれるはずです。

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八王子校舎(現 八王子国際キャンパス)の工学部棟前で撮影した1枚。休み時間はよく芝生で横になり、くつろいでいました(1)。 4年次に、小林研究室(医用電子工学)の仲間と研究合宿で八ヶ岳に行った時の写真(2)。 研究合宿で千葉県南房総市へ(3)。

アハメド シャハリアルさん SCHEDULE

WEEKDAY

7:00

起床

7:30

朝食

9:00

出勤

10:00

来客対応、学生への講義

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12:00

昼食

13:00

ミーティング、講演会

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15:00

視察対応(大学説明など)、職員との打ち合わせ

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18:00

退勤

19:00

帰宅

21:00

「名探偵ポワロ」鑑賞

24:00

就寝

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