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馬淵まぶち 史郎しろうさん SHIRO MABUCHI

明徳義塾高等学校 野球部監督

[ PROFILE ]
愛媛県出身。1979年拓殖大学政経学部政治学科(現 法律政治学科)卒業。社会人野球の監督を経て、1987年から明徳義塾高等学校の野球部コーチ、1990年には監督に就任。同校の社会科教諭、教頭職を務め、現在はスポーツ局局長。2020年にはWBSC U-18ベースボールワールドカップの監督に就任し、2023年にチームを優勝に導いた。

一芸は万芸に通ず。
4年間打ち込めることをひとつ見つけてほしい。

 私が、明徳義塾高等学校の野球部で監督を務めるようになり、今年で34年目になります。部員は現在134人。全員が同じ寮で暮らしており、毎日が合宿所のような生活です。私も自宅で過ごすより多くの時間を、部員たちと共に寮で過ごしています。

 私自身中学、高校、大学と野球部に所属していましたが、当時、指導者になりたいと思ったことは一度もありませんでした。きっかけは26歳のとき、高校時代の恩師に「神戸の企業で社会人野球の監督をすることになったから手伝ってほしい」と頼まれたことです。当時は地元の松山で就職していたため、一度は断りましたが、「3年くらいでいい」とのことだったので、コーチを引き受けることにしました。

 しかし、1年後に恩師が急逝し、突然監督を務めることとなり、そのまま4年間続けました。練習環境が整っているとはいえませんでしたが、4年目には、社会人野球のビッグタイトルのひとつである都市対抗野球に出場し、ベスト8に。秋には日本選手権にも出場し、準優勝を果たしました。それで区切りがついたと思い、松山に帰りました。

 帰ってまもなく、明徳義塾の当時の野球部部長(現 塾長)から「野球部のコーチになってくれないか」と誘いを受けました。このときも5回は断ったのですが、「一度でいいから手伝いにきてほしい」と言われて足を運ぶことに。1987年5月のことで、今でもよく覚えています。練習を見ていて「高校野球はすばらしいな」と実感しました。そこからすぐコーチになり、2年後には監督に任命されて、今に至ります。監督になってからこれまでで甲子園には37回出場しました。学校には恩返しができたのではないかと思っています。

 振り返ると、人に言われるがまま仕方なく引き受けてきた指導者の仕事ですが、コーチに誘ってくださった恩師が亡くなっていなければ、松山で再就職していたと思うので、つくづく人生はわかりません。
とはいえ、引き受けた以上は打算を捨てて、目の前のことに一生懸命取り組んできました。それが評価していただけたのかと考えています。

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大学3年次に学内にて撮影した1枚(1)。 2022年に出場した夏の甲子園で選手に指示を出す様子(2)

 2020年からは日本高等学校野球連盟(高野連)から声がかかり、WBSC U-18ベースボールワールドカップの監督を務めました。高校野球への恩返しと思って引き受けたのですが、コロナ禍で2年連続中止に。開催か中止かなかなか決まらず、憂鬱な日々を過ごしました。

 2022年にようやく開催されたときは、第3位で銅メダル。2023年の31回大会では、悲願であった金メダルを獲得しました。日本は一度も優勝したことがなかったので、とてもうれしかったです。
ただ、選手たちを見ていてなんとなく予感はあったんです。ホテルで3週間ほど一緒に過ごしていたのですが、最後まで生活態度に乱れがまったくなく、服装も挨拶もしっかりとしていました。野球はチームスポーツなので、技術のみならずこうした生活態度や人間性が大いに結果に関わってくると思います。

 また、母校である拓殖大学には「台湾協会学校」として設立されたという歴史があるため、開催地の台湾にはゆかりを感じていました。決勝戦で台湾のチームと戦ったときは熱烈な応援に気圧されましたが、表彰式では満場の拍手。あたたかい気持ちを感じて、本当に感動したことを覚えています。

 高校野球の監督として忘れてはいけないと思っているのは、野球をするのは人生のごく一部だということ。プロになるのはほんのひと握りで、ほとんどの生徒は野球が終わってからの人生のほうが長いです。
だから決して「野球だけすればいい」という指導はしません。指導者としての私の使命は、野球を通じて社会に通用する人間に育てていくことです。21世紀の日本を背負って生きる人になってほしいという思いで日々接しています。

 毎年開催している明徳義塾高等学校の野球部OB会には200人以上が集まるのですが、かつての選手たちが立派に成長して、それぞれの道で頑張っている姿を見ることにとても喜びを感じます。「社会に出て辛い経験もしましたが、明徳での厳しい練習を思いだせば大したことはないと思って乗り越えられました」といってくれる教え子もいて、この仕事のやりがいを実感します。

 拓殖大学に入学したのは、高校時代の野球部の先輩に誘われたことがきっかけでした。当時は寮生活で、毎朝6時に起床し、全員で掃除していたのをよく覚えています。近隣の清掃活動もしていたので、地域の方にはとても大切にしていただき、ときには食事に招いていただくこともありました。

 4年間の寮生活で学んだのは、組織で規律を重んじることの大切さです。寮では上級生が手本となり、下級生をしっかり指導することで、規律が保たれていました。ルールの押し付けではなく、一人の大人として扱われ、責任ある行動をとるよう教えられました。今は私が指導者として、生徒たちには上級生が率先して行動し、規律を示すように伝えています。

 在学生のみなさんには、勉強や課外活動など、多様な面から学ぶ4年間を過ごしてほしいと思います。そのなかで何かひとつ、打ち込めるものを見つけてください。「一芸は万芸に通ず」という言葉があるように、打ち込んでいるうちにさまざまなことが見えてくるはずです。
燃焼し尽くして、卒業時には心から「拓殖大学に入ってよかった」と言えるような4年間を送ってください。先輩として応援しています。

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2023年開催のWBSC-U18で世界一を獲得したメンバーたちと(3)。日本代表メンバーと記念撮影(4)。

馬淵 史郎さん SCHEDULE

WEEKDAY

4:30

起床

大学時代の寮生活のおかげで、早起きはまったく苦になりません。

6:00

ミーティング

野球部の寮で、部長やコーチたちと15分程度ミーティングを行います。

6:30

野球部員の点呼・朝食

7:30

登校

寮、食堂、学校は徒歩5分以内。敷地内に生徒や教職員が暮らしていて、ひとつの街のようです。

8:00

職員朝礼

野球部監督のほか、スポーツ局局長として中学・高校の体育会系クラブ全般に関わっています。午前中は職員室でその仕事をします。

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12:00

寮で昼食

14:30

グラウンド練習

練習時間は毎日4時間ほど。長期休暇中は早朝から練習することもありますが、普段は午後の練習のみ。授業中の居眠り防止のため、朝練は個人練習のみ認めています。

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18:30

練習終了

19:00

夕食

寮か自宅でとります。

22:00

就寝

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